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(KBSWORLD)
朝鮮王朝はその始まりから深刻な王位継承問題を抱えていた。
いつの時代にも王位継承に関わる紛争はつきものだが朝鮮王朝の王位継承問題は特に複雑だった。
第1次王子の乱をなだめすかす方便で世子の位に封ぜられた2代定宗, そして2度にわたる王子の乱を主導し実力で王位を勝ち取った3代太宗, 太宗の意思で実兄讓寧大君の代わりに即位した4代世宗。
朝鮮建国以来60数年の間、問題なく王位継承がなされたことは1度もなかった。
朝鮮第5代王文宗。世宗の嫡流である文宗は嫡流継承の原則により即位した最初の王だった。
だが文宗は病弱で治世は長続きしないようだったため世宗は晩年、世子(文宗)に譲位する。
国政を担えないほど自分の病気が悪化したこともその理由の1つだったが最大の理由は世子に政務を任せることで自分が死んだ時起きるであろう混乱を予め防ぐためだった。一方、キム・ジョンソ, ファン・ボイン,チョン・ブンなど重臣たちに世子の助けになってくれるようお願いする。
そして首陽と安平は文宗の助けになることを誓う。
世宗の病気はさらに悪化し、世宗は病の床に伏せながらで自分の体を心配するよりも文宗の体を心配する。そんな心配は孫である端宗の心配につながった。そこで世宗は自分が1番信頼する集賢殿の学者を呼び孫の今後を託す。この時期に首陽と安平は世宗の健康回復を祈願する仏事に専念し、国事は世子と議政府大臣たちにより成し遂げられた。
世宗は病の床に伏せながら首陽を度々呼び兄弟の友愛を強調し特に首陽の役割が重要であると言う。世宗が首陽にそのようなことを言ったのは首陽は文武両道で18名の息子の中で特に優れていたからだ。首陽は集賢殿の学者たちとともに本を作ったり心身鍛錬することだけに力を注ぎ、生活が乱れたり政務に関与しなかった。
世宗は自分が死んだら権力のある家臣たちが勢力を得ることを知っていて、そんな家臣たちから文宗を守ってくれる者は首陽しかいないと判断した。つまり, 世宗は王権を確実にするのに首陽の役割が必要であることを知っていてそれを首陽に強調しようとしたのだ。
また世宗は世子(文宗)に自分が死んだあと臣下たちが兄弟を陥れ仲たがいするだろうから注意しろという意味深長な遺言を残す。
そして世宗は1450年2月54歳の生涯をとじる。
(公式サイト)
天下獲りに魅せられた人々の命がけの戦いを生々しく描く大型史劇。朝鮮王朝を揺るがした7代・世祖(セジョ)による「癸酉靖難(ケユジョンナン)」事件、10代・燕山君(ヨンサングン)が起こした粛清事件「甲子士禍」まで、激震が続く朝鮮王朝の50年を綴る全186話。
甥である端宗(タンジョン)を廃位させ、力で国をまとめた世祖(セジョ)。9代・成宗(ソンジョン)の母として、後宮に君臨した仁粋大妃(インステビ)はどのように歴史の表舞台に出ていったのか。
5代文宗(ムンジョン)が亡くなり、まだ11歳の端宗(タンジョン)が即位すると権力の中枢は議政府(ウィジョンブ)(朝廷)が握るように。すると王権を守りた
い王族と、朝廷幹部は反目するようになる。
端宗を守りたい文宗の弟・首陽大君(スヤンテグン)・そして密かに野望を抱く安平大君(アンピョンテグン)が激突する骨肉の争いの裏には、主君を玉座につけんと奔走する策士たちがいた!
9代成宗(ソンジョン)の母仁粋大妃(インステビ)こと昭恵王后(ソヘワンフ)ハン氏。名門の出であり、漢文なども得意としていた才女は、婚姻前から僧侶に「王の母となる」と予言されていた!
舅の首陽大君(スヤンテグン)のクーデターに一族で協力したハン氏は、やがて息子に王位を継がせるため、あらゆる手を尽くすようになる。
世祖(セジョ)によって端宗(タンジョン)が流刑されると、集賢殿(チッピョンジョン)(王立アカデミー)の学者たちのなかに世祖に反発する者たちが現れる!
世祖(セジョ)のクーデターに協力したのちは、自らの野望ために生きるハン・ミョンフェたち功臣に対し、文宗(ムンジョン)や端宗(タンジョン)への忠義を貫くソン・サンムンら「死六臣」の「端宗復権運動」は、韓国版の「忠臣蔵」とも呼べる事件。義に生きた清廉潔白な男たちの生き様をその目で確かめて!
成宗(ソンジョン)の即位後は、影の女王として君臨する仁粋大妃(インステビ)。ところが成宗が母の反対を押し切ってユン氏を二代目王妃にすえると、親子関係は急速に冷え込んでいく。
仁粋は影響力を強めるユン氏を廃妃させることに成功するが、成宗は母を怖れたまま死す。
燕山君は朝廷から祖母仁粋大妃勢力を追放することに躍起になる。母ユン氏の死の真相を知った燕山君と、仁粋大妃の対立の行方とは!
五代王文宗は即位期間が2年しかないのね。テワンセジョンでは若い時の太子としての苦悩などが書かれてましたが、それなりに成長し、政治をある程度任せられそうな資質をみせていました。
世宗が長生きし、聖君と称えら、無難に長男に政権移行したのに比べて、即位後すぐになくなったことと太子が若かった(子供作るのが遅かった)ために、朝鮮王朝はまたしても波乱の王位相続になります。朝廷初期とはいえ、長子継承というのがちゃんとされないんですよね~。
太子の頼るべき人としてオム・ジャチがいて、ちょっと懐かしかった。
成宗も、色々と悩んだ末に長子相続という形をとったんですね。長男の子が幼いのと、病弱なのが気にかかってた。二男・首陽は、王の資質としては劣るが健康である。骨肉の争いを防ぐために「長子相続」を考える成宗。
成宗の兄譲寧君はまだ生きていて、「自分たちの代だって二男のお前がついで良かったと思っている」と説得したんだけど、結局、成宗は長子相続を選んだ。自分が世子となるにあたって、大騒ぎがあったことも影響してるだろうね。
譲寧君は、政権の空白を嫌い、首陽が摂政となるべきだという。朝廷の右議政、キム・ジョンソが政権を奪うと危惧している。首陽は、兄の文宗から与えられた愛情を覚えていて、そのようなことに興味を示さない。(確かに、優しいお兄ちゃんだったもんね)
すでに、インス大妃となる首陽の二男の妻が登場。首陽君が早く子をもうけたことを感じさせますね。
文宗は、世子を早く結婚させて安定させたかったんだけど、12歳の太子はてれて首陽君に「止めて」とお願い。仲は良かったみたいだけど、長男相続での王朝安定化と、王族の子孫繁栄が大事だと言い聞かせます。
文宗死亡後、摂政を首陽君にすれば、結局は政権は奪われる。大妃もいないということで、文宗の側室であるホン貴人を摂政とすることで、世子は政権を維持できると内官は考え、王の遺言を聞く自分たちこそが、その道を示せると考える。
あらすじ(公式から)
1話 瀕死の王
朝鮮第5代王、文宗は危篤の床にあった。文宗の父、世宗は病弱な文宗への譲位を憂慮したが、長男継承の原則を守って文宗に譲位した。だが世宗が心配した通り、文宗は即位からわずか2年でこの世を去ろうとしていた。残されるのは幼い世子一人。守ってくれるはずの王妃はすでに亡く、宮殿ではこの機に乗じて王室の実権を握ろうとする勢力が早くもうごめき始めていた。
たしかにもう一歩でしたね。
期待してたのでちょっと残念でした。