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ファウストのこと(魔王に関連して)

ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)ゲーテとの対話 上   岩波文庫 赤 409-1

魔王」(韓国版)は細部まで考えられた脚本で、分析に耐える強さを持っており、深く考察してみる価値のある作品だと思います。日本版を見たことで、オリジナルの脚本が、いかに巧妙にいかに繊細に作られたものかを、再確認しました。

私が虚構作品、特に「演技」の要素がある舞台や映像作品に求めるのは、いかに「矛盾を作るか」という事です。物語には、「良い飛躍」が大切です。演劇において、それは「矛盾」を「肉体を持った役者」が飛び越える瞬間にあるような気がするのです。そこに美しさというか、物語の奇跡があるように思います。
そして、「魔王」は、その「矛盾」こそが物語を生むということを、非常に強く意識された脚本のように思えます。日本版ではじめて「魔王」に接した方々のなかに、「サイコメトリー」という超能力を使っていることや、あまりにも偶然に事件が成功することに、大きな疑問を持ったかたが沢山いるようです。
たしかに、日本版ではこれらの問題の取り扱いが、粗雑な印象を受けます。原作では、これらのアイテムも非常に慎重に取り扱われ、「運命」というものを取り込むことに成功しています。これは、人生や、神について考えるときに、避けては通れない問題です。
引用された書籍についても、この物語をひも解くためのキーワードが沢山盛り込まれており、物語の飛躍を助けてます。今回は、「ファウスト」について、考えてみたいと思います。


さて、本題に入りましょう。日本版2話でも引用された、、18-19世紀ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの「ファウスト」。読んだことがなくても、題名だけは知っている人も多いでしょう。私は、グノーのオペラ「ファウスト」の音楽から入り、翻訳を読んだのが始めてでした。一部はまだしも、二部は私のような人間には読みこなせません。解説付きでも???です。
翻訳は沢山出ています。初めて読んだのは、高橋義孝訳の新潮文庫版でした。「魔王」で引用されたので、読みなおそうと集英社文庫ヘリテージシリーズの池内紀訳を購入して読みました。やっぱり、2部が難解です。

2話で引用された「すべてのものが一つの全体を作りあげ、一が他と響きあい作用しあう」は、ゲーテ第一部の始めの節「夜」に出てくる文章です。池内訳では
すべてがかたまりあって一つにもなれば、一つが別の一つとかかわり合って動いている(悲劇 第一部夜)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳)
と訳されています。
どんな場面で語られているかを説明します。
ファウストは、あらゆる学問をし、
この世をもっとも奥の奥で動かしているものは何か、それがしりたい(悲劇 第一部夜)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳)
と熱望しています。
復活祭の前夜、錬金術における大宇宙(マクロコスモス)のしるしが書かれた書物に見入り、そこから自然の力を感じ取った時に発した言葉です。しかし、マクロコスモスの力は、ファウストには何の関係もないものに感じます。そこで地霊のしるしに見入り、親しみのもてそうな霊を呼び出しますが、そのパワーに圧倒されます。
その後、自分よりより無知なワグナーの訪問を受けます。その後、再び一人で地霊に思いをいたし、「どれほど知りたいと熱望しても、それは叶えられない夢なのだ」と痛感し、自殺を決意しますが、天上からの天使達の声により、思いとどまります。この段階のファウストは、まだメフィスト(悪魔)に出会ってはいません。「人知を超えたすべての物をみたい」これは、やはり大それた願いです。大きすぎて、その願いに飲み込まれてしまうそうなファウスト。
このすっかり疲れきったファウストについて、神とメフィストが賭けをします。神はメフィストを憎悪してはいません。ゲーテの世界観では、悪ですらも世界を構成し創造する要素の一つであるという認識があります。
人間は何をするにせよ、すぐに飽きて休みたがる。だからこそ仲間を付けてやろう。あれこれ手出しをして引きまわす悪魔が相棒だ(天上の序曲)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳 )
と言って、メフィストの持ちかけた賭けに応じます。神は
良い人間は暗い衝動にかられても、正しい道をそれなりに行くものだと、ぼやきにこないかな(天上の序曲)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳 )
と言って、悪魔という試練を与えながら、ファウストが悪魔に取り込まれてはしまわないと信頼しています。
このような経緯で、メフィストはファウストに近づき、契約を交わします。そして、ファウストはまず若返りの薬を飲んで、グレートフェンと恋をする一部が展開されます。


このグレートフェンは、無垢な少女です。「魔王」ではサイコメトラーがこのグレートフェンをイメージさせる役となっています。そして、この少女は、ファウストの「罪」となって行きます。
ファウストとの恋に夢中になり、眠り薬を母に飲ませてはミスで死亡させてしまい、兄はファウストとの決闘で死亡、更にファウストに去られて未婚で身ごもるという罪に耐えかね、嬰児殺しという大罪を犯してしまう。ここまで酷い状況になって、やっと彼女を牢獄から救おうとするファウストですが、彼女はひたすらに贖罪と救いを求め祈ることに専心します。そして、断罪の瞬間に、神はグレートフェンに許しを与えます。
彼女にはモデルがいます。一人はゲーテの恋人フリデリーケ・ブリオンです。結婚間際まで行きましたが、ゲーテが突如逃げ出してしまいました。もう一人は、当時、嬰児殺しで処刑されたスザンナ・マルガレーテ・ブラント。行きづりの男に酒を飲まされて妊娠し、嬰児殺しへいたりました。自分がフレデリーケになしたことは、彼女を嬰児殺しにする可能性のあることであった・・・。この悔恨が、グレートフェンという女性を作り上げています。
さて、ファウストはこのグレートフェンの顛末に深く傷つきますが、アーリエルが癒しを施します。それは「忘却」です。グレートフェンのことについて、ファウストは大きく傷つきははしましたが、その代償を払うでもなく、2部の世界に入って行きます。2部は、ホントに説明など出来ない作品です。ファウストは空間も時間も自由に数々の経験をしていきます。やがて、人生の終焉の時が近づいたファウストは、思わず悪魔との契約の言葉を口にしてしまい、悪魔に取り込まれるかに思えます。しかし、その時「かつてグレートフェンだった女性」の願いにより、ファウストは救済され、天上へと登って行きます。


このあらすじを見れば、物語構造上、刑事=オス=芹沢はファウストであり、弁護士=スンハ=成瀬はメフィストであるとするのは容易だと思います。ファウストは罪深く、そしてそれを忘却し、メフィストによって鼻面を掴んでかき回されて、多くの経験をし、多くを悟る。グレートフェンの兄と争って”誤って”相手を殺してしまう点など、類似点も多く見られます。捜査という謎解きで「この世に何が起こっているか?」と問い続ける姿は、ファウストの根源的な欲求と合致していると言えるかもしれません。このドラマの「ミステリー」の要素は、「問い続ける姿」を表現するのに適していたと思います。
ファウストに「反省」や「謝罪」の具体的な言葉はありません。ファウストは「思考」や「言葉」だけでなく、「体験」「行動」を通して、「世界とは何か?」と知ろうとするのです。そして、人生の終焉のとき、彼はグレートフェンに救われます。「世界の真理を追及しとうと、ひたすらに行動しつくした」姿が、神への祈りのようなものだったからではないか?と、私個人は理解しています。

弁護士=スンハ=成瀬はメフィストの役目をなします。しかし、弁護士はファウストにも似ているように見えるのです。それは弁護士の復讐計画の多くが、「神への質問状」のように見えるからです。そこに偶然の要素を加えて置くのも、「偶然」を「神の意志の表れ、神からの返答」と認識しているからだと思います。「どうして、この世をこのようにお創りになった?」という切実な問いが、弁護士にはあります。弁護士と刑事の大きな違いは、二つあります。まず、刑事=オス=芹沢=ファウストが自ら体験するのと違い、、弁護士=スンハ=成瀬=メフィストは傍観者です。もう一つは、「どのようになっているのか?」という事実をしりたいファウストに対して、弁護士は「どうしてなのだ?」と理由を問うている点です。

この問いに、神は答えません。しかし、刑事=オス=芹沢の「生きたい。生きていて欲しい。」という願いは弁護士を変えていきます。人の命は有限で、死だけは万人に平等です。その厳然たる現実を目の前にしても、人は「生きたい」と願う。その醜く、美しい姿を前に、人は問いを失う。問いを失った瞬間、神は許しを与える。
ファウストとの関連を、私はこのように読みました。


補足

とりあげた
すべてがかたまりあって一つにもなれば、一つが別の一つとかかわり合って動いている(悲劇 第一部夜)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳)

という文章。
これは、先にも述べましたが、錬金術における世界=大宇宙(マクロコスモス)を見ての言葉です。マクロコスモスは、人間(ミクロコスモス)と相関関係があると考えられています。

この文章は、細部が全体を作るということでもあり、この「魔王(韓国版)」がパズルのピースを揃えていくような構成になっていることも表現しています。

また弁護士=スンハ=成瀬の言った。
地位が高かろうが低かろうが、貧しかろうが金持ちであろうが、人は誰かにとって大切な存在です
(ドラマ「魔王」)
という言葉にも、関連が見いだせると思います。この言葉は「失われた家族を悼む言葉であり、それを奪った刑事への恨みごとのように聞こえます。
しかし、冒頭の言葉を合わせて考えると、、「人は、人や自然や社会とかかわりながら生きている。1人が失われれることは全体を失うことに等しい筈なのに、すべての人がいずれ失われる。人はそのように宿命づけられている。何の罪も犯さなくても、人は死という喪失を経験する。」という問題を提示しているように思えてきます。
こうしてみると、弁護士=スンハ=成瀬の怒りは、刑事個人への恨みというようなミクロな問題でなく、社会への疑問に起因しているのでは?という疑いが出てきます。
過去のレビューにも書きましたが、彼は運命に喧嘩を売っている。そういう人物だと言えます。

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| 魔王(日本版) | 18:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP















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