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伝播していく想い(魔王を考察する)

韓国版・日本版を見ながら、改めて「魔王」のテーマについて考えてみたいと思います。
思い切り韓国版最終話までのネタばれなので、ネタばれが嫌な方は、ここで止めてください。






キム・ジウ作家の「復活」「魔王」ともに、ラストは「終わりは始まりです」という言葉で閉じられています。これは、悲劇に衝撃を受ける若い視聴者に向かって、悲しみ過ぎないで、明日を生きてほしいという願いが込められています。

そして、これはドラマ全体を通して、キム・ジウ作家が訴えたかったことだと思います。「復讐は何も生まない」口にするのは簡単なことです。でも、この言葉だけでは、スンハ(日本版では成瀬弁護士)を止めることはできないと思います。

オリジナル(韓国版)「魔王」を発端となった12年前の事件に注目して整理すると、こんな物語になります。
オス(日本版では芹沢刑事)と、スンハ(当時はチョン・テソン。日本版では成瀬弁護士)という二人の「弟」が居た。
スンハは貧しくても、母や兄に守られて愛されて生きてきた。兄によって守られてきたスンハは、事件で兄を失った。完全に守られた存在だったスンハは、何の免疫もないまま外界に放り出されて傷ついた。
一方で、オスは裕福でも、自分を守り愛してくれる人の存在を感じられずに生きてきた。オスは孤独や喪失に慣れてしまった分だけ、スンハより少し大人だった。そして、「卑怯な生き方を止めろ」と諭したテフン(被害者)は、オスにとって兄の様な、人生の指針となっていく。事件は、オスに「テフン」という兄を与えた。テフンのように生きようとするオスは、そうすることでスンハの(擬似的)兄となって行きます。
12年後。オスは、テフンから教えられたものを、弟スンハに伝えて最後を迎える。人に思いを伝えるのはとても難しい。様々な困難や誤解がある。それでも伝わっていくものがある。

スンハの怒りの源は、身近な人の死が重なったことで、「人は必ず死ぬ」という人間の不変のテーマに若くしてぶち当たってしまったことにあると思う。オスが何をしたか?、何をしなかったか?というのはスンハに取っては表層的な怒りに属する部分であり、オスが悔い改めるだけでは、スンハの根源的な怒りは収まらない。(注:これは謝罪が必要ないってことではないです。ただ、謝罪してもテフンは戻らない。スンハの喪失を慰めることになるとは限らない。謝罪は、やはりオス本人の生き方の問題という側面が強いと、私は考えています)
兄テフンがオスを変えた=オスの中にテフンが生きていると示されて、「死は終わりではない」=「終わりは始まりである」という事を理解する。そうして始めて、「死」というものを受け入れられる。兄テフンの死を受け入れ、怒りを鎮めることができる。

人の温かい気持ちが伝播・継承されるというモチーフは、オス→ヘイン→スンハなど、テフン→オス→ヨンチョルなど、ドラマの中で繰り返し用いられている。特にホイッスルなどは、「守るためのアイテム」として登場し、オスからヘインを通過してスンハに手渡される。非常に象徴的で分かりやすい例だろう。


原作者は「悲しみを広げないこと」、「喜びを広げること」ということを大事にしている。復讐する側を描いた「復活」でも、ハウンがやろうとした復讐は、時を戻すための「復活の儀式」という色合いが濃い。悲しみを広げることを目的としているのでなく、悲しみが広がる以前に戻るための儀式。思想が違うから、スンハとは、復讐のやり方も違ってくる。

しかし、「復活」「魔王」どちらの復讐も、途中でハプニングが起こり、復讐の企画者に新たな真実を突き付ける。
魔王」では、オスの中にテサンが生きているという予期せぬハプニングによって、スンハの復讐はオスの中のテフンを発見するという「復活の儀式」へと転化し、そこで幕を閉じる。この「復活」は、過去に戻ることではなく、未来にテフンの魂が生きることを示し、スンハに「前へ進め」というメッセージを伝えてくる。

一方、「復活」でも予期せぬハプニングによって、時を戻すための「復活の儀式」は失敗し、「時は戻せない」=前にしか進めないというテーマが浮かんでくる。真実の暴露が、正しかったのか否か?それは前進だったのか?という謎が残されます。
多くが傷つき、多くが失われたが、真実はあるものを解放し、あるものを過去の呪縛から解き放った。その成否は、今後次第であるということを、ラストシーンのハウンの表情が語っている。


ここで、日本版「魔王」に戻ってみましょう。
日本版は、年上の弁護士が弟に「見ていてくれ」と言うのが冒頭にあって、弟の悲しみを思い知らせたいという、ネガティブな感情の伝播の正当性が強調されている。これは、弁護士側に主軸を置いた結果+被害者を弟にしたということが関わっているのではないだろうか?庇護者を失った幼き魂ではなく、守るべきものを失った魂として、復讐者・成瀬弁護士は造形されている。すると、幼きものの死により、悲しみは韓国版より強調されている。
また、上記で述べた「温かい気持ちが伝播する」というモチーフは複数エピソードを重ねる必要があり時間がかかることもあって、殆どカットされている。
日本版「魔王」では、スンハが広げようとする悲しみの連鎖に対抗するだけの物語を、刑事側で作って行けるのか?が、これからの大事なポイントになるだろう。
韓国版のように細かいエピソードを重ねる手法は、時間の問題で使えない。しかし、「人は必ず死ぬ」という事実を目前にしたときの絶望を救うだけの、力強い物語を紡ぐ必要がある。日本版独自のエピソードを作っても良いと思う。思い切った改変をしても良い。今を生きる日本人が、これにどのような回答をするか?期待している。
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| 魔王(日本版) | 20:34 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP

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| | 2008/08/01 12:47 | |















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