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魔王 生と死のドラマ

2009年冬クール。孤独な少年時代から、社会に挑むような復讐劇を展開している銭ゲバ。コレを見ていて、魔王について考えたことがあったので書きます。

魔王における弁護士(スンハ・成瀬)は、死ぬのが目的で行動してる。
”自殺したい。でも自殺したら地獄行き。だから憎いやつらを利用して殺される。ついでに憎いやつらも一緒に殺してしまえ。でも、自分の手は汚したくない”ってのが本音だろうなと思う。「兄弟のために」とか「正義」とかは、嘘じゃないけど2次的な理由。「自殺したい」自分を否定するための言い訳の要素もある。
今期ドラマでいったら、ラブシャの海里ちゃんが一番近い気がする。死にたい病。銭ゲバの中でいったら茜ちゃん。

風太郎のほうは、まだ放送途中で、あの馬鹿犯行の意図が読み取れきれてない部分もある。単に馬鹿なのか、破滅的な気持ちの表れなのか。そもそも金に復讐するのに殺人に行っちゃうのは何故なのか。
でも、風太郎は、生きるのが目的ではあると思う。
”生き抜くためには殺しちまえ。弱肉強食。何が悪い”ってのが根っこにある。「生き残るためには結局は銭ズラ」な風太郎。どうせ地獄だといいながら、とっさの判断で常に「生き残ってやる」っていう行動をとるのが風太郎だと思います。そこに、後付けで「銭ズラ」という理屈をつけている。コレに、正しく生きたい派の緑も加わって、今後は生存競争が激化しそうな予感。

風太郎はちょっと魔王の刑事(オス・芹沢)に似てますよね。やってしまった罪に対して、「銭がすべて。俺は間違ってない」と主張したい風太郎は、「銭と命を天秤にかける」事に拘り、結果的に殺人に向かっていく。
刑事(オス・芹沢)も犯した罪にを払しょくするために生きている。「生きる資格はないかもしれない。ただ、正しく生きようとすることで許されると信じたい」と、自分を削るように仕事に没頭していく。

「とにかく生きたい」って意味では、風太郎は弁護士(スンハ・成瀬)より刑事(オス・芹沢)に近い。イマイチ思索が足りないおバカっぽい所も、少年期の罪も含めて・・・。
刑事(オス・芹沢)は、実現出来てるかは別として、(正しく)生きたいと願い続けるキャラ。でも、おバカだから正しいってなんだろう?って視点はない奴。おバカの自覚はあるので、とりあへず警察組織という社会的な規範に従おうって判断した。

魔王というドラマは、死と生を対比させて行って、生への希望に転じた直後に死亡という結末を迎える。
「生きたい」刑事が、死にたい弁護士を凌駕するって形は、まあ良識的なラストだと思う。その後に「生きたくても死ぬ時は死ぬ」って現実を用意して。「世の中は理不尽だ」という原点に戻して見せる。生と死を設定した時点で、結末はこうするしかないよなあ~って思います。

ゲバの方は、生と生がぶつかり合う構造なので、落とし所がどうなるのか興味深い。ホドホドのところで停戦するのが「生き残る」道だったりするかもしれないし、戦い抜いて絶対に勝つってなるかもしれないし、ラストが楽しみ。
風太郎は「俺は間違ってない」と言いたくて、「生き残るためには中庸であり、バランス」ってのを見失ってる。対照的に、父ちゃんは、意外に鋭い嗅覚でスルスルと危険をすり抜けて生き残ってきたわけだけど、10億でかなりバランスを失ってますね~。どうなるんだろうなあ・・・。
原作の方では、「銭」への追及が「権力」にスライドしていくようで、銭とは何か?って部分に対しても、色々な側面から語られているみたいですが、何せドラマは時間がない。さあ、どうなるか??


弁護士(スンハ・成瀬)の意図については、過去にメモを書いたのが残っているので、もう少し掘り下げたいと思います。
記事:スンハは止まれたのかでも触れてます。


ます、復讐計画から弁護士の意図を考えていきます。復讐の本質は、その計画に表れていると考えられる。計画を原作と大きく変わっていないので、復讐の本質は変わっていない。ポイントは2点。

1)弁護士は結局は死ぬのが目的だ
弁護士(オス・成瀬のどちらも)が持っている「法解釈次第で罰は免れうる」という世界観では、優秀な弁護士が死んでしまう計画では法的な場面での戦闘力が落ちて、刑事(オス・芹沢)を法的に罰することができる可能性は低い。刑事の激しやすい性格や、弁護士が刑事を真の悪人と思っている点を考えると他の弱点をついて自分以外の誰かを殺させるという計画の方が適している。そのことから、刑事を法的に罰するという目的は、弁護士の計画の本質だとは思いにくい。

このことから、”弁護士は死にたかったけど自殺は大罪だからできなくて、刑事に殺してもらう計画を立てた。”のが計画の本質だと自分は考えている。
「自殺という罪」への願望を刑事に押し付けようという計画なので、最終的に「刑事の自殺」もかなり高い確率で想定していたはずだと思う。

2)弁護士は、何故、自分の手を汚さないのか
弁護士はその他の殺人についても、自分の手を汚さないことで、神に対して弁明できるような逃げ道を作ってて、結構セコイ所が人間らしい。悪を気取っているようで、自分は汚れたくないという意識が見え隠れする。死後の救済に希望を持ってるから、地獄行きを恐れた計画を立ててるんだと思う。
実行段階で現実に苦しむ人を見ることで、自分の穢れを認識していくんだろうけど、かなり強固な自己弁護の理屈を長年かけて作ってきたから、なかなか罪を承認できない。
実際の救済は、「生きたいと願った」ことで自殺の罪は消える形で終局を迎えます。これは、弁護士が想定出来なかったことだと思います。

ここからは、日本版ファンにはちょっと耳に痛い部分もあるかもしれない比較論です。(読みたくない方は引き返して)











韓国版では、1)、2)のような要素があることはドラマの中でも否定していないと思います。1)の彼がなぜ「死のうとするのか」は、「生死をコントロールするのは、神ではなく自分だ」という神への挑戦。2)の自分で手を汚さない計画は、「死によって救済されるために、地獄に落ちたくない」っていう保険。彼は「神などいない」と言いながら、神にかすかに期待してる。神のイメージをかなり明確に出しているので、「神に対する問いかけ」としての要素は、わりと簡単に読み取れます。

日本版では、成瀬に同情しやすいような描写にし、自己犠牲による家族の復讐と正義の主張こそが真の目的という主張を強めています。こういう要素は、韓国版でもゼロではないし、かなり濃く描かれています。確かに、家族のために復讐したいという気持ちは強かっただろうし、嘘ではないでしょう。しかし、それは2次的なもののように思えます。このドラマの結末は「生と死」の対決であり、「善と悪」の対決ではないからです。「善悪」ではなく「生きたいと願うこと。幸せになりたいと願うこと」が、もっとも重要なテーマとして掲げられてると思います。そして、そのために正しく光を向いて生きよということが湧き上がってくる形になっている。

日本版スタッフは、成瀬への同情によって、成瀬の醜さが反映された復讐計画の本質から、目をそむけてしまった気がします。芹沢の罪を隠した父や、成瀬のなり替わりを隠した姉と同じで、成瀬への同情で事実を歪めているように感じる。しかし、成瀬に同情する気持ちは真実であるからこそ、多くの人が感動したのでしょうね。

私自身は、原作も情に流され過ぎた部分のある作品だと思っているが、それでも「情に流されてしまってはダメだ」という意志は感じます。キャラクタへの深い愛情と同時に冷静に突き放すような客観的な視線が残ってる。

日本版が、「成瀬可愛そう~」に流さているのは、やっぱり作品を見て「不憫だな」と思ったことが製作動機にあるからだろう。原作の本質やテーマに迫ること以上に、「原作見てあまりにもかわいそうだって思った。この気持を伝えたい」ってのが、制作のモチベーションになってる気がします。これは、作品とプロデューサーの発言から感じたことで、本当は違うのかもしれないけど・・・。その気持ちがよーく分かるだけに、「成功するリメイクってそういうものかもな・・・」とも思いました。
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| 魔王(日本版) | 23:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP















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