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魔王(日本版) 5話

原作11話終わりまで。
完全に韓国ドラマ「復活」に近い表現になってきました。復讐者の物語として書こうとすると、どうしてもこうなるのかな~。今回は、美味しいシーンをかなり集中投下してましたね。
そして、アナグラムなどで、原作以上に明確にヒントをだし、簡単にたどりつけるように意図している弁護士。「早くやってこい」「早く止めろ」という要素を強調して、「本当は復讐なんてしたくない」という側面を出してますが、これはちょっとやり過ぎっていうか、復讐者を美しく書き過ぎかな・・・。あと、後悔し始めるのも、ちょっと早すぎる。その方が、成瀬の悲しさは際立つんだけど、この先にもっと苦しい地獄が展開する予定なので、早すぎる気がしちゃうんですよね~。

あらすじ↓
成瀬は、姉の真紀子を見舞うために海沿いのとある病院を訪れていた。スイカの思い出を語る真紀子に、一緒に生活した少年の思い出を呼び起こし、回答する領。

図書館で“芹沢直人様”と書かれた赤い封筒を見つけた芹沢は、ソードのエースのカード(避けられない変化が起きる)と手紙LIVE=EVIL(生きることは悪いこと)を見つける。
“倒れる鉄骨”“ロッカーから赤い封筒を取り出す山野の姿” がサイコメトリーされ、山野に再アプローチする。「やるなら他人を巻き込まずに、自分の手で俺を殺せ!」と山野に迫るが、山野は「…僕は君みたいな人殺しじゃない」と言い捨てて去っていく。このシーンの芹沢は演出ミスじゃないかな。原作の方が、刑事の闇の深さを浮き彫りにしてました。

成瀬と山野は、人気の無い公園で背中合わせに座り、復讐計画の相談。復讐計画の全貌を知りたがる山野に、「知らないことで救われることもある」という言葉を残す成瀬。
そんなある日、成瀬はしおりから「すぐ来てください!」と呼び出される。「空のママは人殺しなの?誰が人殺しなの?早く捕まえてよ」と、抱きつかれた成瀬だが、罪悪感からしっかりと抱き返せない。しおりも「その人を止めたいんです。その人もきっと辛いから。誰かに救って欲しいんだと思います。だから、犯人からのメッセージを読み解いてあげないと」と、神曲の本から残像を読もうとした瞬間、しおりは意識を失う。「…もう、止められないんだ」

捜査課では、AMANOMAKOTO→MANAKA TOMOOのアナグラムに気がついた。友雄が鉄骨の下敷きになって死んだことが分かる。鉄骨の件で連絡を入れた芹沢に、しおりは11年前の事件の第一発見者だと語った。しおりもまた、巻き込まれている人物の一人。

父親が刑事を辞めるよう言う。 「いつになったら信じてくれるんですか?」と訴える芹沢。
十一年前のあの事件の時、英雄を刺していなかった。ナイフを持つ手で腹を殴りつけただけだった。運悪くナイフが刺さってしまったのだ。「あの事件だって、少年院に行ってもブン殴られても良かった。ただ、父さんに信じて欲しいだけだったんだ!」と、父親に感情をぶつける。

絶望し酔っ払う芹沢の元へ成瀬が現れる。「犯人に会って聞きたいことがある。人は本来正しいものなのに、俺のせいで悪い奴にしてしまった」と語る直人に「諦めないで下さい。どうか早く犯人に辿り着いて下さい」と言葉をかける。
成瀬の元に赤い封筒が届く。中には塔タロットカード。池畑が訪ねてくる。 10年前に事故死した少年の話を、少年を知る藤野という人物に聞いたと言いながらゆっくりと語り始める池畑。「真中友雄さん」と呼んだ。


あとは、諸々の疑問と愚痴。日本版ファンの方は覚悟してみてください。
韓国版ラストまでのネタばれあり↓

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| 魔王(日本版) | 20:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP

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伝播していく想い(魔王を考察する)

韓国版・日本版を見ながら、改めて「魔王」のテーマについて考えてみたいと思います。
思い切り韓国版最終話までのネタばれなので、ネタばれが嫌な方は、ここで止めてください。


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| 魔王(日本版) | 20:34 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP

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神曲について(ドラマ魔王に関連して)

神曲〈1〉地獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)神曲 上   岩波文庫 赤 701-1やさしいダンテ〈神曲〉4話では、ダンテの神曲が出てきました。概要については、ウィキペディアで読むことができます。
ウィキペディア「神曲」のページ

地獄篇(Inferno)煉獄篇(Purgatorio)天国篇(Paradiso)三部構成。
三行を一連とする「三行韻詩」であり、各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる(地獄篇は序章となる1歌を加えた34歌)。キリスト教における「三位一体」を文学においても表現しており、引用された地獄の門でも、三位一体である「父と子と聖霊」についての節がある。ドラマ中で、この図書が分類番号333に置かれているというのも、この「3」という数字へ意味づけです。

あらすじはこんな感じ。
西暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは古代ローマの詩人ウェルギリウスに出会う。彼に導かれて、地獄・煉獄・天国と遍歴。
地獄の九圏を通って、地球の中心部、魔王ルチフェロ(サタン)の幽閉されている領域まで至る。
そこから、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどりつく。煉獄山では登るにしたがって罪を清められていき、煉獄の山頂でダンテはウェルギリウスと別れることになる。
ダンテは再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。
原題はLa Divina Commedia 神聖なる喜劇(ディヴィーナ・コンメディア)。悲劇ではなく結末に救済されることを意味する。
ファウスト同様に、地獄を見た後に「救済」が与えられています。ファウストも、神曲も「作者」が主人公と言ってよい作品だと思います。そして、彼等は未来の救済を信じ、それを文学にした。


今回、引用されたのは「地獄の門」についての一節です。地獄篇の第3歌。いよいよ地獄へと踏み込んでいくダンテの前に現れた地獄の門。

ドラマでは 冒頭の一節が次のように訳されています。これ、出展が分からないんです。韓国版の日本語字幕と一緒ですね。韓国版ドラマで、イタリア語から訳されたものを、日本語に訳したのかな?
私の持っている山川訳と比べると、「ここを通り過ぎて、俺の所にやってこい」というメッセージが強く打ち出されているように感じますね。

(ドラマ「魔王」より)
苦悩の都に向かう者、我を通り過ぎよ
永遠の苦痛に向かう者、我を通り過ぎよ
魂を失った人を訪ねる者、我を通り過ぎよ


(岩波文庫版の山川丙三郎訳)
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり

義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛我を造れり

永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ

つづく一節では、父=聖なる威力、子=比類なき智慧、聖霊=第一の愛、と三位一体の神が地獄の門を作った事が説明されています。


これを元に、ロダンがブロンズ像を作りました。作品は未完です。有名なの「考える人」も、この門の上で、門を通過する人々を見据える存在として作られました。これは、地獄をめぐり、罪人たちを見ることになる「ダンテ」自身を象徴している存在です。

ドラマ中では、「目を閉じた彼が目を開くとき、審判が行われる」という説明がなされます。多くの罪と悪を見つめつづけ、自らを「審判者」と定義する弁護士の意志が見受けられます。
弁護士は「審判者」と自分を定義しています。それはキリスト教におけるロゴス=(言葉、論理)の象徴=キリスト(三位一体での子)への挑戦でもあるように思います。人間社会での法でも、神との律法の誓いにおいても、刑事が罰せられてないように見えることに、彼は疑問を持っている。自ら「論理」を創造し、それに従って審判を行う。だからこそ、弁護士はルシファーに模されている。

ロゴスは、ミュトス(物語)と対比する言葉。空想し物語る言葉ミュトスに対して、論証する言葉ロゴスがある。しかしながら、弁護士が行おうとしているのは、本当に「理性」「論理」によるものなのか?決してそうではない。そこに、弁護士の誤算がある。


このドラマで、「ダンテ」となり地獄の中に踏み出すのは刑事。そして、その最下圏・第九圏裏切者の地獄 -「コキュートス」(Cocytus 嘆きの川)と呼ばれる氷地獄で待つのが、「ルチフェル=ルシファー=サタン=魔王」。コキュートスは「裏切りものの地獄」で、裏切りが最も重い罪だと定義されている。
弁護士自身が、自分は審判者であると同時に、罪人ルシファーであると思っていることが、この引用から分かります。では彼の罪「裏切り」とは何か?
兄弟を救えなかったことか?真実を明らかにするのを諦めてしまったことか?神を信じなかったことか?日本版では、どのように作ってくるのか?興味深く見つめて行きたいと思います。

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| 魔王(日本版) | 19:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP

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魔王(日本版) 4話

魔王 上 (1) (双葉文庫 き 19-1)韓国版の9話終わりまで来ました。あまりにも駆け足すぎて、駄作になってきたな~。
脚本が、ますます説明セリフ満載に。確かに説明するとそうかもしれないけど、それをセリフにして直接言ってどうするよ?もともと、原作にないセリフの完成度が酷いと思ってたけど、ますますひどいことになってます。原作のセリフをそのまま使うシーンが激減したのもある。
そして、悲しいことに、刑事が事実と向き合い、一度は逃げようとし、そして色々な地獄を再体験しながら、「やはり刑事として生きる」ことを選択するという流れが適当すぎる。これは、事件後に刑事が「自殺を止めて生きようとし、高校卒業時と同時に警官になる」という重要な経過の再現。地獄めぐりをする神曲の再現でもあります。それなのに、バッサリとカット。
刑事の異様な熱血演技もココで挽回出来るはずで、ここでの落差のために熱血を強調してるのかと思ってたので、本当にガッカリ。特に、生田君は可哀想だな~。彼、影響を受けないためにオム・テウンの演技は見てないそうですが、原作の小説版は読んで挑んでいるとのこと。先にこの素晴らしいシーケンスがあると思ってあの演技だったのなら、渡されたのがあんな脚本ではガッカリだろうね。
あと、刑事たちの会話のペラペラ加減はとんでもなかったですね。

ここで、弁護士の兄弟と苛められっ子の関係があきらかになりました。。正義の人・弁護士の兄弟がやった「俺がケリつけるから、お前は黙って見てろ」は、芹沢父が芹沢にやった「俺が処理するから、お前は黙ってろ」と同じこと。弁護士にとっての善と悪がそっくりなことをしてる。この辺りの問題は、苛められっこの「気の毒感」が強すぎると隠れてしまうんで、微妙に調整して上手くやってほしいです。

あと、気になる点。
・担任の先生も事務長も、本格的にカットされるみたい。事務長は、刑事を「刑事」にする一言を述べた人物。担任は、刑事が真実を語った人物の一人。彼らに信じてもらえなかったことで、「真実は俺と死んだあいつにしか分からない」と。事件について口を閉ざすようになった刑事。事件後の刑事の生き方を決定づけた二人が居ない。今回の処置を見ても、刑事側の人間ドラマはアッサリ処理されて行きそう。
・芹沢父に恨み持ってるのに、芹沢が刑事と知らない記者とか、もう無茶苦茶だろ~。
・サイコメトラーは「利用されている」という不安の後に3話でサイコメトリーやってて、いまさら「利用されている」って刑事に言うのおかしくないか?刑事の罪を知ったからってこと?
・刑事が苛められっこに会いに行ったとき、刑事は「もう辞めろ。自分が破滅してしまうぞ」と必死に訴えるんですが、そのシーンがない。これは、苛められっこの再会が、刑事が「刑事として生きる」という再確認をする前に変更されてしまったために、入れられなかった。でも、これは刑事というキャラクタを造形する上で、大事な点。当時、苛められっこのナイフを取り上げた被害者と同じことをする刑事。
・サイコメトラーへの告白の前に、捜査しちゃうのもどうなんだろう?サイコメトラーへの告白の前には長い時間があり、打ちのめされた刑事が映し出される原作。再び立ち上がるための告白。それは、「告白は許しの一歩である」ということを意味していて、彼が1人で事件を抱え、告白を躊躇ってきたのは、「どうしたって言い訳になる」からだということが分かる。
・サイコメトラーは「生きなきゃいけない」とは言ってなかったな。あれは事務長の過去のセリフの大意から引っ張ってきたのか?サイコメトラーが言ってもあんまりな~。「あなたはあなたの信じる道を行くしかない」って原作の方が、「巫女」っぽいし、中立な立場の発言だと思います。
・トンネルの絵本。これも、弁護士が自分から感想をサイコメトラーに聞いたりして、ちょっと軽薄すぎるな~。

あらすじ↓
弁護士の前に雑誌記者が現れる。「あなた、実は悪魔なんじゃないんですか?」と意味深な言葉を吐く。

廃車場にいきついた刑事は、過去の事件の関わりと確信し、辞表を提出。しかし、独自捜査はするんですね。
刑事は、いじめらっれ子の存在を思い出し、彼の出版社に。「周りを巻き込むな」という刑事だが、すっとぼけられた。
苛められっこが思い出す被害者。ナイフを持ち出した自分を抑え、代わりに戦ってくれた友。「ごめん…」

苛められっこに「お前は酷い人間だった」と言われ、やっと自分の罪を自覚した刑事は、サイコメトラーを訪ね事件を告白。「生きなきゃいけないんです。死んでいい人間なんて、いるわけないんです。全力で生きて下さい」。
これに励まされ、捜査復帰。班長さんたち、甘過ぎないか?

宅配便が。中学時代から盗み撮りされた直人の写真とダンテの神曲という戯曲から引用した、「地獄の門」の言葉。サイコメトラーは、犯人に自分の能力を利用されていると不安がる。知っていて、利用しているのではと動揺する。
秘書にも不審な郵便物が届く。刑事は、ソラに苛められっ子の面通しを頼む。がソラは否定。被害者を再調査したところ家族は亡くなっている。赤いカバーの本『神曲』の中から『芹沢直人様』と書かれた赤い封筒が!


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| 魔王(日本版) | 20:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP

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魔王(日本版)リメイクについて 3話まで見て

私は、日本版はこれはこれとして良く出来たドラマになっていると思います。しかし、「これを見てオリジナル(韓国版)を判断しないでほしい」というのが、オリジナルの一ファンとしての願いです。ドラマのカラーがかなり違うものになっているので・・・。
今回は、二つの気になる点について、考えてみたいと思います。改変された部分に、どんな意味を持たせられるのか?注目している点です。

1.「弟が殺された」という改変
私は、「兄が殺された」→「弟を殺された」という改変に非常に疑問を持っています。
これは「弱く小さきもの」が「庇護者を失った」物語だからです。だから、「気にかけてあげれば・・・」という大人が沢山出てくる。それは、スンハ(弁護士)だけでなく、事件前のオス(刑事)に対しても・・・。

スンハは、貧しいながらも、母や兄に守られ、幸せに温かく生きていた。
オスは、裕福ながらも、「利害関係のある友人」や「自分を否定してばかりの父」によって、冷たい人間関係の中にいる「吊るされた男」。
事件前からオスは「気にかけてくれ」と叫んでいましたが、事件をきっかけに「俺の言葉を聞いてくれ」と直接的な訴えを四方八方に発します。しかし、彼が訴えたのは「大人たち」です。その壁を越えて、「スンハ」という少年に話しかけることはできなかった。
オスに呼びかけられた大人たちは、彼の声に耳を塞ぎます。しかし、一人の刑事が答えます。「正しく生きろ」このたった一度の出会いが、彼を刑事にしていきます。何も持たなかったオスにとっては、その一言に大きな価値があった。

一方のスンハは「叫ぶ」ことがなかなかできなかった。これまで、叫ばずとも与えられるのが当然だったのですから、当り前です。そうしているうちに、何もかもが奪われてしまった。彼は、怒りの対象者オスではなく、「大人たち」の一人オスの父に向かって叫びます。それは、怒りの発露というよりも、庇護者となりうる権力者への「助けてくれ」という叫びだった。しかし、それは拒絶された。彼は表現手段を失われた。
次に得た「庇護者」も人生から奪われたとき、「復讐」という表現手段が目の前に浮かんだ。その道を選択してしまった彼は、その後「優しい庇護者」に恵まれるが、彼は道を戻らなかった。
スンハの復讐は、非常に子供じみています。その視界の狭さ、思考の広がりのなさ、ゲームじみた手法、社会全体への恨み。「少年のままのスンハ」らしさが反映された犯罪と言えると思います。

オリジナルはこういう話です。だから、彼が「弟」であったことは重要な意味を持ちます。しかし、日本版は「大人たち」が非常に存在感を薄められていることからみても、「違う物語」を紡ぐつもりなのかもしれません。しかし、事件そのものをそのまま利用している以上、「弁護士の幼さ」は切り離せません。どう着地させるのか、身守りたいと思います。

2.「説明的」になった演出・脚本
スピード感は増してます。上手く「事実を省略」している部分もありますが、「説明」することでスピードアップしている部分が大きいように思えます。オリジナルは比喩とエピソードで語るのですが、日本版は「○○という設定になってます」というストーリー説明の占める割合が大きい。
例えば「A」を表現するのに、オリジナルは「A」を囲む3点のエピソードを描くことで「A」を浮かび上がらせます。その点は、別のBという事象を書く役目もしている・・・という感じで、すべてが絡み合って世界を作ってます。
日本版は、AだからBという結果にという直線的な表現になっているように思います。そのストーリー展開を見れば、そこから類推できる心情というのはあります。しかし、この直線的な表現では、「単純すぎる」気がするのです。

演出にしても、とても直接的というかベタですよね。オリジナルの、象徴的演出や弁護士と刑事を交互に映して対比させる手法などを使ってはいます。しかし、サスペンスとして盛り上げるための過剰なズームアップや音響は、ちょっと笑ってしまいます。笑ってほしいんだろうな~と思うので、狙いはハマってるし、「上手いな」とニヤリとしながら見てます。つまり、作り手が狙って「簡略化」してるということは分かります。

脚本のことに、話を戻します。日本版は確かに「事件の顛末」を省略していますが、それは「(本質は何かということは)言わなくても分かるでしょ?」という作りではないと思います。「時間がないから簡単に要点だけ説明します。細かい矛盾は気にしないでください」という「説明」です。
オリジナルは、劇中でも言わせているように「細部が全体を表現する」という構造のドラマなのに対して、非常に説明的で余白のないドラマになっています。そして、事件そのものも時間短縮のために変形させてしまったために、説明すればするほど「変形によって生じた矛盾」が目に付き始める・・・。
難しいですよね。放送時間という絶対的な問題があるので、本当にリメイクは困難だと思います。アチコチが綻びを生じている・・・。スピードと勢いで突っ走るのか、この綻びを意味あるものとして提示出来るか?
結末まで見ないと分からないので、ここも注目ポイントとして見守っています

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| 魔王(日本版) | 14:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP

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魔王(日本版) 3話

まずは全体の感想。

コレ、オリジナルを見てなかったら、展開の早さで楽しめるんだろうな~と思います。ただ、オリジナルを見てると、良いシーンをダイジェストでつなげてるだけに見えちゃうんだよなあ。その間を苦労して「飛ばす」ために、いろいろと手を打ってるんですが、やっぱりオリジナルを損なうことになっちゃってる。どうしても、矛盾が出てきてしまってるし。20話を10話にするって意味では、頑張ってるとは思うんだけど・・・。
オリジナルと見比べて、「脚本って、いかに正しい位置に正しいセリフを置くかが重要なんだな・・・」と勉強する気持ちになってきちゃいます。

サイコメトラーを捜査方針の決定に深く関わらせることは、日本独自の展開です。そこを使って「巻き込まれる善人は、弁護士の味方ではなく、弁護士とは違って罪の意識を持つ」というソラ母の打ち出すテーマを補強させました。これが良かったのかどうか・・・。サイコメトラーは、常に肯定的なプラス思考の象徴のようだったオリジナルと、大きく変わってしまったので、彼女の扱い方で後半のストーリーは変わってくるかも?そこは興味を惹かれます。ただ、彼女を大きく迷わせるという重要な変更をした割に、後半であっさり捜査復帰してるんで、「脚本家に大した考えはない」のかもしれない。

基本はオリジナルの6話ラストまで進みました。が、先の方のシーンセリフを、ドンドン使ってきます。状況として、そういうセリフが出てくるほど煮詰まってないので、違和感あります。あと、日本版で改変したり付け足したセリフの陳腐なこと!!せめて、テイストを揃えてほしいんですけど・・・。特に刑事・・・。刑事は確かにお馬鹿な直情正義漢ではありますが、それなりに苦渋をなめ、刑事として人の醜さを見つめてきた上で、「それでも笑っている」人物だから、複雑で面白いのになあ。あんな陳腐なことを、陳腐に叫ぶ人格では、やっぱり薄っぺらく感じてしまう。
一番、先取りしすぎだと思ったのは、ソラとヨンチョルのピースを既に使っちゃったこと。これは、二人の境遇をもっと描いた後で、さりげなくするから効果が高いのに!勿体ない!



では、あらすじに沿ってレビュー。全面的に愚痴です。それも、オリジナルのファンの!!ってことで、日本版のファンの方は読まない方が・・・。

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| 魔王(日本版) | 21:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP

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ファウストのこと(魔王に関連して)

ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)ゲーテとの対話 上   岩波文庫 赤 409-1

魔王」(韓国版)は細部まで考えられた脚本で、分析に耐える強さを持っており、深く考察してみる価値のある作品だと思います。日本版を見たことで、オリジナルの脚本が、いかに巧妙にいかに繊細に作られたものかを、再確認しました。

私が虚構作品、特に「演技」の要素がある舞台や映像作品に求めるのは、いかに「矛盾を作るか」という事です。物語には、「良い飛躍」が大切です。演劇において、それは「矛盾」を「肉体を持った役者」が飛び越える瞬間にあるような気がするのです。そこに美しさというか、物語の奇跡があるように思います。
そして、「魔王」は、その「矛盾」こそが物語を生むということを、非常に強く意識された脚本のように思えます。日本版ではじめて「魔王」に接した方々のなかに、「サイコメトリー」という超能力を使っていることや、あまりにも偶然に事件が成功することに、大きな疑問を持ったかたが沢山いるようです。
たしかに、日本版ではこれらの問題の取り扱いが、粗雑な印象を受けます。原作では、これらのアイテムも非常に慎重に取り扱われ、「運命」というものを取り込むことに成功しています。これは、人生や、神について考えるときに、避けては通れない問題です。
引用された書籍についても、この物語をひも解くためのキーワードが沢山盛り込まれており、物語の飛躍を助けてます。今回は、「ファウスト」について、考えてみたいと思います。


さて、本題に入りましょう。日本版2話でも引用された、、18-19世紀ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの「ファウスト」。読んだことがなくても、題名だけは知っている人も多いでしょう。私は、グノーのオペラ「ファウスト」の音楽から入り、翻訳を読んだのが始めてでした。一部はまだしも、二部は私のような人間には読みこなせません。解説付きでも???です。
翻訳は沢山出ています。初めて読んだのは、高橋義孝訳の新潮文庫版でした。「魔王」で引用されたので、読みなおそうと集英社文庫ヘリテージシリーズの池内紀訳を購入して読みました。やっぱり、2部が難解です。

2話で引用された「すべてのものが一つの全体を作りあげ、一が他と響きあい作用しあう」は、ゲーテ第一部の始めの節「夜」に出てくる文章です。池内訳では
すべてがかたまりあって一つにもなれば、一つが別の一つとかかわり合って動いている(悲劇 第一部夜)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳)
と訳されています。
どんな場面で語られているかを説明します。
ファウストは、あらゆる学問をし、
この世をもっとも奥の奥で動かしているものは何か、それがしりたい(悲劇 第一部夜)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳)
と熱望しています。
復活祭の前夜、錬金術における大宇宙(マクロコスモス)のしるしが書かれた書物に見入り、そこから自然の力を感じ取った時に発した言葉です。しかし、マクロコスモスの力は、ファウストには何の関係もないものに感じます。そこで地霊のしるしに見入り、親しみのもてそうな霊を呼び出しますが、そのパワーに圧倒されます。
その後、自分よりより無知なワグナーの訪問を受けます。その後、再び一人で地霊に思いをいたし、「どれほど知りたいと熱望しても、それは叶えられない夢なのだ」と痛感し、自殺を決意しますが、天上からの天使達の声により、思いとどまります。この段階のファウストは、まだメフィスト(悪魔)に出会ってはいません。「人知を超えたすべての物をみたい」これは、やはり大それた願いです。大きすぎて、その願いに飲み込まれてしまうそうなファウスト。
このすっかり疲れきったファウストについて、神とメフィストが賭けをします。神はメフィストを憎悪してはいません。ゲーテの世界観では、悪ですらも世界を構成し創造する要素の一つであるという認識があります。
人間は何をするにせよ、すぐに飽きて休みたがる。だからこそ仲間を付けてやろう。あれこれ手出しをして引きまわす悪魔が相棒だ(天上の序曲)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳 )
と言って、メフィストの持ちかけた賭けに応じます。神は
良い人間は暗い衝動にかられても、正しい道をそれなりに行くものだと、ぼやきにこないかな(天上の序曲)
(集英社文庫ヘリテージシリーズ 池内紀訳 )
と言って、悪魔という試練を与えながら、ファウストが悪魔に取り込まれてはしまわないと信頼しています。
このような経緯で、メフィストはファウストに近づき、契約を交わします。そして、ファウストはまず若返りの薬を飲んで、グレートフェンと恋をする一部が展開されます。


このグレートフェンは、無垢な少女です。「魔王」ではサイコメトラーがこのグレートフェンをイメージさせる役となっています。そして、この少女は、ファウストの「罪」となって行きます。
ファウストとの恋に夢中になり、眠り薬を母に飲ませてはミスで死亡させてしまい、兄はファウストとの決闘で死亡、更にファウストに去られて未婚で身ごもるという罪に耐えかね、嬰児殺しという大罪を犯してしまう。ここまで酷い状況になって、やっと彼女を牢獄から救おうとするファウストですが、彼女はひたすらに贖罪と救いを求め祈ることに専心します。そして、断罪の瞬間に、神はグレートフェンに許しを与えます。
彼女にはモデルがいます。一人はゲーテの恋人フリデリーケ・ブリオンです。結婚間際まで行きましたが、ゲーテが突如逃げ出してしまいました。もう一人は、当時、嬰児殺しで処刑されたスザンナ・マルガレーテ・ブラント。行きづりの男に酒を飲まされて妊娠し、嬰児殺しへいたりました。自分がフレデリーケになしたことは、彼女を嬰児殺しにする可能性のあることであった・・・。この悔恨が、グレートフェンという女性を作り上げています。
さて、ファウストはこのグレートフェンの顛末に深く傷つきますが、アーリエルが癒しを施します。それは「忘却」です。グレートフェンのことについて、ファウストは大きく傷つきははしましたが、その代償を払うでもなく、2部の世界に入って行きます。2部は、ホントに説明など出来ない作品です。ファウストは空間も時間も自由に数々の経験をしていきます。やがて、人生の終焉の時が近づいたファウストは、思わず悪魔との契約の言葉を口にしてしまい、悪魔に取り込まれるかに思えます。しかし、その時「かつてグレートフェンだった女性」の願いにより、ファウストは救済され、天上へと登って行きます。


このあらすじを見れば、物語構造上、刑事=オス=芹沢はファウストであり、弁護士=スンハ=成瀬はメフィストであるとするのは容易だと思います。ファウストは罪深く、そしてそれを忘却し、メフィストによって鼻面を掴んでかき回されて、多くの経験をし、多くを悟る。グレートフェンの兄と争って”誤って”相手を殺してしまう点など、類似点も多く見られます。捜査という謎解きで「この世に何が起こっているか?」と問い続ける姿は、ファウストの根源的な欲求と合致していると言えるかもしれません。このドラマの「ミステリー」の要素は、「問い続ける姿」を表現するのに適していたと思います。
ファウストに「反省」や「謝罪」の具体的な言葉はありません。ファウストは「思考」や「言葉」だけでなく、「体験」「行動」を通して、「世界とは何か?」と知ろうとするのです。そして、人生の終焉のとき、彼はグレートフェンに救われます。「世界の真理を追及しとうと、ひたすらに行動しつくした」姿が、神への祈りのようなものだったからではないか?と、私個人は理解しています。

弁護士=スンハ=成瀬はメフィストの役目をなします。しかし、弁護士はファウストにも似ているように見えるのです。それは弁護士の復讐計画の多くが、「神への質問状」のように見えるからです。そこに偶然の要素を加えて置くのも、「偶然」を「神の意志の表れ、神からの返答」と認識しているからだと思います。「どうして、この世をこのようにお創りになった?」という切実な問いが、弁護士にはあります。弁護士と刑事の大きな違いは、二つあります。まず、刑事=オス=芹沢=ファウストが自ら体験するのと違い、、弁護士=スンハ=成瀬=メフィストは傍観者です。もう一つは、「どのようになっているのか?」という事実をしりたいファウストに対して、弁護士は「どうしてなのだ?」と理由を問うている点です。

この問いに、神は答えません。しかし、刑事=オス=芹沢の「生きたい。生きていて欲しい。」という願いは弁護士を変えていきます。人の命は有限で、死だけは万人に平等です。その厳然たる現実を目の前にしても、人は「生きたい」と願う。その醜く、美しい姿を前に、人は問いを失う。問いを失った瞬間、神は許しを与える。
ファウストとの関連を、私はこのように読みました。

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| 魔王(日本版) | 18:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP

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魔王(日本版) 2話

1話で韓国版の4話冒頭まで行きましたが、取りこぼしたところまで戻って二つ目の事件が起こる所まで=4話終わりまででした。演出、脚本共に、小さなミスを連発してるので、ミステリとしては破綻した気がしますが、サスペンスとして頑張ってほしいなと思います。

捜査が他の所へ行ってる間に、刑事をもっとも信頼する友人が殺されるという展開は同じ。ただし、真犯人として記者が浮かぶのに対して、ターゲットが刑事父だという形にして、死ぬのは友人か?父親か?というハラハラで盛り上げた。エンタメとしては面白いのかもしれないけど、刑事の心理の流れ、弁護士の復讐計画とも、かなり無理をしている気がします。

特に、刑事の造形が・・・。前回、現場検証で、かなりハッキリ「過去の事件だ」と認識した様子でしたよね。韓国版では、「過去が再現される=自分が再び罪を犯す」ことへの恐怖が前面に押し出された演技で、「過去の罪のせいで復讐が行われていると気がつく」というところまでの演技にはなってません。
1話感想でも書きましたが、具体的な容疑者が浮上することなど、心理的な逃げ道が沢山あって、過去の罪から目を背けられる状況になってるんですよね。しかし、日本版の刑事=芹沢は、かなりハッキリ「過去の罪のせいだ」と認識したような絶叫演技があった。
それなのに、2話でそっち方面を考えずに、「自分に挑戦状を送るなら父親がターゲット」と思うのは唐突だったな。さらに、何の証拠もない段階で、サイコメトリーだけで「父親が狙われてるからSP動員」ってのは無理がない??刑事一人の思い込みで出来る事じゃない気がするし・・・。
過去に関しても、韓国版の刑事ははしばしに後悔と懺悔と、自分を卑下する様子を見せるんですよね。チンピラ=宗田には、目をそらし、下から接する。そういうディティールの積み重ねが、刑事を複雑なキャラクタに仕上げているわけですが・・・。今回、刑事=芹沢が、チンピラの充に説教した瞬間に、「この脚本家わかってね~」って気持ちになりました。

ここにきて、「一つは全体を・・・」っていうファウストの引用を入れてきましたね。しかし、作品そのものが複数の事象が複雑に絡み合ってる韓国版に対して、一話完結に近い形の日本版。意味も薄れちゃってるんじゃないかな~。

原作の印象的セリフを、別のシーンやキャラクタに割り振って言わせてるのも気になります。意味が違ってきちゃう気がする。この辺は、じっくり比べてみたい気がするんですが時間がない。

一番気になったのは、カード!2つ目のカードは正義だったのに、日本版では「月」。動くほどに混乱するってのは状況にはあってるけど、この順番変えてはならない気が!2つ目の事件の被害者にもフィットしない気がするし・・・。
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| 魔王(日本版) | 11:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP

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